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旅行記:京都(2011/08/08-10)②
<目次>
 1.はじめに
  1-1.旅行記を書くにあたって
  1-2.本旅行記の調査手法
  1-3.本旅行記の概要
 2.旅行に至るまで
  2-1.計画段階
  2-2.数日前、アニア家突撃事件
 3.旅行1日目
  3-1.集合
  3-2.途中下車なしの旅
  3-3.鴨川にて
  3-4.宿泊の地、ネットカフェ(以上、旅行記:京都(2011/08/08-10)①)
 4.旅行2日目
  4-1.早朝、川渡り
  4-2.風呂を求めて
  4-3.士気崩壊
  4-4.狂気の焼肉
 5.旅行3日目
  5-1.撤退の合意
  5-2.帰路
 6.おわりに(以上、本号)

4.旅行2日目
 4-1.早朝、川渡り
 翌朝の我々は、元気であった。そんなことは敢えて述べるまでもないことだとお思いになられるかもしれないが、これは大変重要なことである。
 前号において、ネットカフェの6時間パックで夜を過ごした点について述べたが、このことは、6時間に渡っての睡眠が与えられたことを意味するわけではない。既述のようにあまり得るもののなかった行軍であったとはいえ、前日の我々は早朝から青春18きっぷで東京から京都へ移動し、炎天下の中を練り歩いたのである。そうでなくとも、1日に1回はシャワーを浴びたいというのが人間というものである。つまり、フロアに1つしかないネットカフェのシャワー室を交替で利用する必要があった。また、翌日は観光してやろうという気持ちはあったものの、予定自体は何も立てていなかったことから、この点について話し合いの場を設ける必要もあったのである。2011年8月当時、スマホを所持していたのはアニアとざきの2名だけであったことから、各個室にPCのあるネットカフェは、情報を得ながら話し合いを進めていく場として適切な面があったことは否定できない。しかしながら、これらの事情は、当然に時間を要求したのである。それぞれ眠りについた時間には隔たりがあったと思われるが、おそらく長くとも4時間程度の睡眠時間しかなかったのではないかと思われる。それにもかかわらず、我々は元気だったのである。冷静に考えれば、この時点で身体と精神状態にギャップが生じていることは明らかであった。
 さて、我々が前日の話し合いに基づいて最初に向かうこととしていたのは、嵐山であった。これは、嵐山のすぐ近くにある天龍寺に行きたいとアニアが言い出したことによるものであったと記憶している。しかし、我々がネットカフェの外に出たとき、時間はまだ4時台である。このあたりの時間についての情報は散逸しているため、推測する他ないのだが、おそらく、無駄にネットカフェを早く出て、電車を待ったのである。
 こうして朝から貴重な体力を少しずつ無駄にしながら辿り着いた嵐山では、別の、しかしよく似た事実が明らかになる。客観的な資料によると、我々は遅くとも6時を少し回ったところで嵐山駅に辿り着いているのであるが、天龍寺が参拝可能になるのは8時半だったのである。つまり、ここで、2時間以上の空き時間が生じてしまった。ここで我々が取った行動は、体力の温存とはかけ離れたものであった。つまり、中之島公園から対岸に掛けて配置されていたテトラポッド状の構造物を足場として、対岸に向けて渡り始めたのである。しかも、往復である。
 つまり、前日の疲労を無視してネットカフェの6時間パックを選び、力の回復を犠牲にして得た時間を電車の始発待ちと、テトラポッドを足場とする川渡りに消費し、そこでまた体力を消耗させてしまったのである。

 4-2.風呂を求めて
 8時半を迎えて天龍寺の参拝を済ませると、次に我々が向かったのは華厳寺、いわゆる鈴虫寺で、鈴虫寺を離れたのは10時前後のことであった。既述のように、このとき京都は最高気温は36度を超える猛暑が続いており、コンクリートの大地の上ともなればなおさらであった。駅前で見かけた温度計は39度を超える温度を叩き出しており、嵐山駅から鈴虫寺の近辺まで向かうバスを待つ間にも、うだるような暑さに、ただでさえ無駄に消費した我々の体力はただ奪われていくだけだった。そのため、鈴虫寺の参拝を終えた頃には、全身汗まみれで体力的にも休息が必要という状態になっており、誰が言い出したのか確認することはできないが、「銭湯へ行こう」との掛け声に反対するものは誰もいなかったのである。
 、我々は銭湯に向けて転進することとなるのであるが、上述のようにスマホの所持者が少なく、今よりも地図アプリの案内やGPSも精確ではなかった当時において、地勢に明るくない我々が、猛暑の中、最短距離で言っても30分程度は掛かる銭湯を目指すのは、決して楽なことではなかった。言い換えれば、地獄そのものであった。「仁左衛門の湯」を目指して我々が取ったルートがどのようなものであったかは今や確認できず、鈴虫寺から南に進んだのか、桂駅まで電車で移動して西に進んだのかは判然としないが、いずれにせよ、照り付ける日差しの中、残りどれくらいの距離にあるのかもいまいち分からない銭湯で汗を流すために、大量の汗を流し続けることとなったのである。
 道に迷ったこともあり、1時間近くの時間を掛けて辿り着いた銭湯は、まさに天国であった。少なくとも主観的には、体力が全回復したと言っても良いだろう。ここで少し理性を取り戻した我々は、桂駅までの移動をタクシーで解決すると、次の目的地である龍安寺に向かうのであった。

 4-3.士気崩壊
 この後、我々は徒歩で龍安寺・金閣寺を回り、北野天満宮を通過して銀閣寺行きのバスが停まる停留所へと向かい、その道中のなか卯で昼食を取ったのであるが、この時点で私は眠気と疲れがピークに達しており、昼食を取ったことの他に覚えていることと言えば、龍安寺でほんの僅かな時間腰掛けた瞬間に気絶するように眠ってしまったことくらいである。いずれにせよ、会話も乏しいままに、この数時間を立ち通し、あるいは歩き通したのであった。我々の中でも、京都旅行においてどの時間が一番つらかったのかという問いに対する答えは、必ずしも一致しないかもしれないが、少なくともこの時間がその候補の一つとして挙げられることは、間違いないだろう。コミュニケーションもなく、ただつらいという感情だけを共有して足を進めるその姿は、士気崩壊を起こした敗軍のそれそのものであった。
 さて、銀閣寺に向かうバスの車中でしばしの仮眠をとっていたのだが、ふと目を覚ますと、車中にアニアとじーこがいないことに気が付く。どうやら、アニアがスマホを落としていることに気が付き、じーこを伴って降車したが、残る3人は気にせず銀閣寺へ向かって欲しいとのことであった。というのも、銀閣寺の入場時間は17時までであり、我々が北野天満宮の近辺でバスに乗ったのは16時10分のことであったから、最短経路で事態が推移しても、銀閣寺の到着時間は16時50分を回っており、一旦降車すれば間に合うような状況ではなかったからである。
 そして、別行動にはなったものの、私を含む3名は、首尾よく銀閣寺の参拝を行うことになった。「首尾よく」というのは、バスを降車し、銀閣寺に入場し、順路を回る一連の動作をRTAのように完遂したということである。その後、無事にスマホを発見したアニアらとも合流することができ、タクシーで清水寺に向かうことになった。このタクシーという乗り物に乗るのは既に京都旅行において2度目のことであるが、実は多少お金が掛かっても、つらい気持ちにならない方が良いのではないか、という問いを我々に投げかけるものであった。清水寺に到着したのは18時半頃のことであり、この頃には昼間ほどの暑さではなくなっていたため、それほど苦しい思いもせずに参拝できたのではないかと思われる。
 ところで、ここに至るまで著名な神社仏閣の類をいくつも回っているにもかかわらず、その内容について言及していないことを不思議に思われるかもしれない。しかしながら、猛暑の中、前日失ったものを埋め合わせるために決死の行軍に出た我々にとって、思い返してみればどこで何を見たのかというようなことは、もはや些事と言っても良い出来事なのである。

 4-4.狂気の焼肉
 次に問題になったのは、夕食をどうするか、であった。ここに至るまで、ファストフードのチェーン店でほとんどの食事を済ませてきた我々であるが、一度くらいは京都らしいものを食べて良いのではないか、という思いについては、おそらく全員が共有していたのではないかと思われる。しかし、店探しは難航することとなった。京都らしいと言っても高い店は無理であるし、検索能力のあるスマホ持ちは2名しかいなかった。また、「食べられればなんでも良い」と思わせるに十分な空腹感と、何よりも一日中炎天下の中移動し続けた疲れが、理性を破壊しつつあった。
 我々が選んだのは、焼肉の食べ放題であった。お分かりだろう。我々は既に狂っていたのである。この狂気は、前日と同じネットカフェに辿り着いた際にも発揮されることとなった。つまり、6時間パックである。
5.旅行3日目
 5-1.撤退の合意
 5時前にネットカフェを退出すると、マクドナルドで卓を囲んで作戦会議が開かれることになった。話し合いの焦点は、いつ帰るのかである。上述のように、我々は旅行の開始日を決めてはいたが、終了日を決めていなかった。この話し合いにおいて、私は3泊4日、すなわち、もう一泊することを主張したように記憶しているが、その私でさえ、話し合いの途中に意識がふっと切れるように眠りに落ちていた。限界であった。私を含め、2泊3日で旅行が終わること自体に心残りがある者はいたように思うが、旅行をこの日の間に終えて東京に帰還することに、強く反対する者はいなかった。
 もっとも、せっかく京都に来ているのに丸一日を移動に費やしてしまうのは惜しいと考えて、伏見稲荷を回って帰ろうということになったのであった。
 
 5-2.帰路
 伏見稲荷大社を観光すると、JR稲荷駅で復路用の青春18きっぷに印字を受け、京都駅で土産物の購入等の用事を済ませると、お昼頃に帰宅が始まった。正確な時間は分からないが、おそらく13時頃のことであったと思われる。13時と言えば既にお昼時であるが、このとき我々は、名古屋で途中下車をして味噌カツでも食べて帰ろうという計画を立てていたため、昼食を食べることなく電車に乗り込んだのであった。
 往路で青春18きっぷによる長距離移動を経験してきた我々にとっても、復路は決して楽なものではなかった。そもそも、最高気温が36度を超える炎天下の京都を、荷物を全て持ったまま観光し続けて、しかも宿泊はネットカフェの6時間パックで済ませるなど、満身創痍と言ってもよい状態であり、コンディションは往路より各段に悪化していた。もちろん、普通列車に長時間乗り続けることがどれくらい辛いことなのかということは既に体験済みであり、いつ終わるか分からない未知の体験をさせられているときの途方もなさこそなかったが、言ってみればそれだけのことである。
 京都を出てから約3時間後、16時過ぎに名古屋で味噌カツを食べた我々は、17時過ぎ頃に名古屋駅を出ることになったのだが、「長い静岡」に耐え忍ぶ中で、ある一つの不安が生じてくることとなった。つまり、「本当に今日中に帰れるのか」である。熱海まで残り数駅というところで時間は既に22時頃になっており、どのように乗り換えれば効率的に進むことができるのか、終電がいつまでなのか、といったようなことについて下調べをしていなかった我々は、このとき「熱海に一泊」という事態すら想定していた。
 こうして一抹の不安を抱きながら電車に揺られていた我々であったが、最終的には、おそらく地元駅の終電より1本前の電車で、無事に帰宅することに成功したのであった。振り返って考えてみれば、これは偶然の産物であった。京都駅を出発する際には終電でも間に合わない可能性は考慮に入れていなかったし、名古屋で途中下車をする際にも、帰れないリスクは話題に上がっていなかった。薄氷の上を歩くような帰路であった。
 
6.おわりに―狂気と戦うために
 この京都旅行の後、アニアの大学受験のため一年ほどの間を置いて、我々は47都道府県の制覇を目指して、各地に旅行に出かけることとなる。その詳細については以後の旅行記で明らかにしていきたいと思っているが、大きいものだけで言っても、2012年夏に北陸、2013年春に四国、2013年夏に近畿、2014年春に長野、2015年春にイタリア、2015年秋に群馬、2016年夏に京都、2017年秋に栃木、2018年夏に東北東部と、コンスタントに続いていく活動の、基礎となったのがこの京都旅行であった。最後に、この京都旅行から我々が学んだこと、いわばこの京都旅行の意義を明らかにして、本稿を締めさせて頂きたい。
 まず、旅行は疲れるという前提の下、無駄な体力の消耗を防ぎ、十分な休息がとれるようにしなければならないということである。京都旅行では、荷物を預けることがなかったため、3日間の移動の間、全ての荷物が詰まったリュックを背負ったままの移動であった。また、繰り返し述べてきたようにネットカフェの6時間パックで夜を過ごしており、これは体力の回復という観点から言えば野宿よりはマシという程度のものである。以後の旅行では、「宿を事前に確保する」という点は絶対の約束事項となっているが、それはまさに「京都から学んだ」ことである。
 次に、計画の重要性である。これは何も、修学旅行のように綿密な計画を立てたいという意味ではない。往復の交通手段、宿泊先は先に決めておいた方が良いのはもちろんのこと、予め訪れる場所の候補をまとめておくなどしておかないと、疲れのあまり事後的に見れば不可解としか言いようがない事態に至ってしまうことが明らかになったからである。
 最後に、前の2点にも関連するのだが、狂ってはいけないということである。疲れは思考力を奪い、それがまた体力を奪っていくという負の連鎖を、この旅行において我々は繰り返し体験することとなった。疲れのあまり頭がおかしくなってしまったことの一例として、我々の内輪では「イタリアの水」というたとえ話がしばしば出されるが、その原体験は京都にあったと言っても過言ではない。これより後の旅行において、時に狂った行動に出たことを否定することさえできないものの、次にそれが本格的に牙をむいたのは、イタリアはローマの夜のことだった。
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旅行記:京都(2011/08/08-10)①
<目次>
 1.はじめに
  1-1.旅行記を書くにあたって
  1-2.本旅行記の調査手法
  1-3.本旅行記の概要
 2.旅行に至るまで
  2-1.計画段階
  2-2.数日前、アニア家突撃事件
 3.旅行1日目
  3-1.集合
  3-2.途中下車なしの旅
  3-3.鴨川にて
  3-4.宿泊の地、ネットカフェ(以上、本号)
 4.旅行2日目
  4-1.早朝、川渡り
  4-2.風呂を求めて
  4-3.士気崩壊
  4-4.狂気の焼肉
 5.旅行3日目
  5-1.撤退の合意
  5-2.帰路
 6.おわりに―狂気と戦うために

1.はじめに
 1-1.旅行記を書くにあたって
 本稿は、7年半ほど前の2011年は8月8日から8月10日にかけて行った、京都旅行について概説するものである。これまで、何度か書こうとは思いながらも、①なぜ今さら、②今やだいぶ忘れているだろう、という2点の自己批判を受けて断念してきた。しかし、少なくとも②の点については、今よりもさらに後の時点になればさらに忘れているだろうことが予想され、本質的な批判ではないだろう。また、この事実こそ、まさに、未来のある時点ではなく、現時点において書くべき理由を構成するものと言えるだろう。すなわち、「現在以降のあらゆる時点の中で、最も書くに適した時点は現在である」という事実こそ、①の自己批判に対する最も強い再反論であろう。かくして、本稿を書くべきではないとする2点の根拠が成り立たないことが十分に示されたと思われる。
 1-2.本旅行記の調査手法
 上述のように、本稿は7年半も前の出来事について記すものである。伝聞法則において耳にタコができるほど繰り返してきたように、過去の事実について述べるというのは、知覚し、記憶し、叙述するという段階のいずれにおいても誤りが介在しやすいものであり、それが7年半も前のこととなれば、より一層その趣旨は強く妥当するものと思われる。
 そこで、本稿では、我々がデータとして共有している旅行時の写真のデータ上に、撮影時刻が記されていることに着目し、正確に場所・日時についての情報を得るとともに、特に旅行前段階においては当時のメールによるやり取りを参照して、可能な限り客観的な事実を基礎とした記述に努めることにした1

1 このような手法を採ったところ、「こういうことがここで起こったのだ」という記憶上の情報は、数多くの点で覆されていった。しかし、このような「発見」は、真理を探究することを第一の使命とする者にとって、喜ばしいことであって、悲しむべきことではない。これは思い出が否定されたのではなく、「そのような誤った記憶を持っていた」という思い出が増えただけのことである。

 1-3.本旅行記の概要
 本旅行記は、2011年8月8日から10日にかけて行われた京都旅行の概説であるが、その全貌を語るためには、「なぜ京都へ行くことになったのか」を語ることは避けられない。本旅行の推移は、旅行が開始されてからの種々の意思決定の積み重ねによって形成された面は無視できないものの、その基礎には開始に至るまでの諸事情が寄与しているからである。そこで、「京都旅行をその具体的形象において(in seiner konkreten Gestalt)行ったのか」を明らかにするためにも、最初に2.以下において、旅行に至るまでの経緯を述べていきたい。その後、3.~5.において旅行の経過を述べていく。最期に、6.において本旅行の意義を述べる。
2.旅行に至るまで
 2-1.計画段階

 本旅行が行われたのは2011年の8月と述べたが、先にこれがどのような時期であったのかについて述べたい。本旅行の参加者は私を含め5名である2が、これはいずれも中学時代の同級生であり、我々は2011年の3月に高校を卒業し、その後大学受験のため浪人期間に突入したしたアニア3を除いては、2011年の4月に大学に入学し、この2011年8月という時期は、ちょうど大学最初の夏休みのことであった。我々にはこの時までに観光を目的とした遠出の旅行に出かけた経験はなく、したがって、本旅行は我々にとって「最初の旅行」であった。また、ちょうど7月末から8月の冒頭にかけて、大学に入って最初の期末試験・期末レポートシーズンだったということもあり、十分な準備機会が取れていなかった。
 そのため、「京都へ行こう」という旅行内容と、始点を8月8日としてそれから数日間という点については合意があったものの、その他の旅行の経過については計画を立てないままであった。結果的に、最小限旅行を行うために必要と考えられた往復の交通手段こそ過去に夜行バスに乗った経験のあるアニアに一任したものの、京都到着後の計画については、宿泊先もネットカフェ等で良いだろうということで、何も立てないままであった。
 そして、時は8月に入って数日後、私を始め数人が期末試験も終わり、京都旅行について少し話し合っていこうということになったとき、一つの事件は起きた。アニアへの連絡が取れない
 上述のように我々は中学の同級生以来のグループであったが、中学時代の人間関係をおおむねそのまま引き継いでおり、クラスのリーダー的ポジションであったアニアは、そのまま我々のグループの「司令塔4」であった。しかも、この旅行において彼は「夜行バスを予約して往路・復路を確保する」という重要な役割を担っており、その彼と連絡がつかないことは我々にとって死活問題であった。仮に夜行バスを予約してあるのであればそれで良いが、万が一予約をしていないということであれば、アニアを除くメンバーで交通手段を押さえなければならない。しかし、それも夜行バスを予約していないということを確認した上で行わなければ、無駄な出費を生むだけである。また、宿泊や到着後の計画というのも、かなりの程度、到着時間といった往復の交通手段による境界条件に依存した問題であるから、その点が確定しない限り、あまり話が進むことはなかった。なんと言っても、8月8日から旅行が始まることについては合意はしていたが、いつ旅行が終わるのかを、我々はまだ決めていなかったのである。
 8月某日、私の家に集まったアニアを除く面々は、この状況に苦慮していた。そもそも旅行は行われるのだろうか。そのような不安すら脳裏によぎる中、ついに我々はある一つの決断をすることになった。
 アニアの家に、乗り込もう

2 私とアニアの他の3名のHNを、「ざき」「じーこ」「のま」とする。後述のように、以下ではしばしば「我々」という言葉が出てくるが、これはおおむねこの5人を主語とする単語である。
3 したがって、彼はまさにこの時期、浪人中であった。
4 確かに、彼は旅行を牽引するポジションを担っており、彼がいなければ「旅行いってみたいね」という願望で話が終わっていたものを、現実に旅行に至らせたのは、まさに彼が先導的な役割を担っていたがゆえであることは、否定できない。

 2-2.アニア家突撃
 かくして、我々は出陣し、一気呵成に、徒歩で数分の距離にあるアニアの家へと迫っていくのであった。そして、このとき、数日後に旅行に行くにもかかわらず、一切連絡が取れなかったことから、失踪したのではないかとまで言われていたアニアであったが、この日、我々は無事に彼に会うことに成功したのである。しかし、そこで彼から聞かされた言葉は、我々が想定していたあり得る事態の一つではあったが、しかし、それでもなお、いざ耳にすれば衝撃を覚えるものであった。つまり、「バスを予約していない。」というものである。
 この時点で、取り得る手段は多くはなかった。もともと夜行バスによる往復を予定していたことからも分かるように、交通手段に割ける費用はそう多くはなく、しかも数日後には旅行が迫っているとなれば、新たに格安の夜行バスを予約するのも困難な状況になっていたのである。我々が選んだのは、青春18きっぷであった。
 こうして、我々の最初の旅行が、青春18きっぷによる京都往復、宿泊はネットカフェ、到着後の計画は立てない、という形象において行われることが、このとき確定したのである。

3.旅行1日目
 3-1.旅の始まり
 8月8日早朝、我々は地元の駅前にいた。時間は4時半。可能な限り京都到着の時間を早めるべく、始発で地元の駅を出ることを決めたのである。この時、我々は人生初の「自身の手中にある」旅行に興奮しており、始発に合わせて、駅のシャッターが上がっていく中、シャッターが上がり切らないうちに意気揚々と乗り込んでいったのである。無論、駅というものは始発の列車が到着するよりも前にシャッターを開けるものであるから、ここで急ぐ意味は全くない。そこに理性はなかったが、しかし、熱情はあったのである。
 いずれにせよ、ここで我々の青春18きっぷに印字がなされ、旅は始まった。

 3-2.途中下車なしの旅
 この熱情は、ホームに到着した我々に徒競走を要求した。列車が到着したところで、椅子を確保すべく、競争をし始めたのである。しかし、当然のことであるが時間は4時半である。まばらに席に座る者がいたが、当然のように5人が座れないなどということはあり得ない。大人しく着席した我々は、高揚した気持ちのまま、「対面に座った人の姿が、お前の未来」ゲームを始めると、対面に老人や中年女性が座るにつけ、声を上げて笑うのであった。何が面白いのか、全く分からない。
 さて、青春18きっぷを利用した往復を決めた我々であったが、時刻表を持っているわけでもなく、乗り継ぎの方法について詳細な検討もしていなかった。ただ一人、じーこだけが乗り換えの時間を調べてはいたが、これは乗り換えのため必要な最小限度のものであった。青春18きっぷの旅というと、途中下車をしながらの旅を想像する人もいるかもしれないが、我々はこのとき、青春18きっぷをただ目的地に辿り着くための手段として位置づけていた。
 したがって、地元駅から京都駅まで最速で行った場合の13時43分着を目指して、所要時間9時間あまりの途中下車の旅が敢行されることになったのである。
 東京駅を出てから京都駅に辿り着くまでのことについては、まさに青春18きっぷ初心者のテンプレを一通りこなしたと言っても良いだろう。5人というボックス席に適さない人数であったため1人が見知らぬ人と相席になった。車両数が少なくなる駅で乗り換える際に乗車場所を間違えた。それによって座席を失って数十分間立ち続けることとなった。もっとも、我々の歩みを大きく止めるような事態は起こることなく、若干の遅れがありながらも、14時半頃、無事に京都の地を踏んだのである。

 3-3.鴨川を北へ
 京都駅に到着した我々は、最初に食事を取ることとした。もっとも、繰り返し述べてきたように、事前の計画は立てておらず、しかもスマホを全員が手にしていなかった当時においては、旅行先の名物を口にするというこじゃれた考えは頭になかった。駅近くのうどん・そば屋で食べたうどん5が、京都で口にした最初の食べ物となった。
 昼食を終えた我々であったが、何をするのか何も決めていないのである。我々がこのとき取った行動は、とりあえず鴨川に出て、とりあえず北に向けて歩く、というものであった。なぜこのような行動に出たのか、今の私が知るすべは存在しない。客観的な事情として挙げることができるのは、まず、我々はこの日早朝から電車に乗り続け、慣れない青春18きっぷに長時間立ち続けた区間もあったという事情であり、他方で、初めての自分たち旅行に気持ちが昂っていたという事情である。このことから推測できることとしては、おそらく、我々はそのとき、頭がおかしくなっていたのである。
 鴨川を北にしばらく行くと、我々は四条あるいは三条のあたりで喫茶店に入り、しばしの休憩をすることとした。ここまで言及していなかったが、このとき、京都は大変に暑かったのである。過去の天気情報によると、我々が京都旅行を敢行した8月8日から8月10日にかけての京都の最高気温は、それぞれ36.2度、36.9度、36.3度であった。後々、この暑さがさらに我々の頭を破壊していくことになる。
 喫茶店で休憩をとった頃には時間は既に夕方に差し掛かっており、再び川の方に出ると、何やらお祭りのような装飾がなされている空間へと辿り着いた。おそらく、「京の七夕」祭りの鴨川会場だろう。我々はこれを少し見て回ると、四条河原町のあたりへと移動し、今回の旅において最も重要かもしれない仕事に取り組むことになった。つまり、宿探しである。

5 このとき、のまはただ一人そばを食べている。

3-4.宿泊の地、ネットカフェ
 宿探しと言っても、我々の狙いは当初の予定通り、ネットカフェであった。事前にどこにネットカフェがあるかも全く調べておらず、しばし歩き回ることにはなったものの、無事にネットカフェを見つけることに成功した。ところが、ここで、それまで考えていなかった一つの問題が生じることになった。一般的に、ネットカフェでは夜間に宿泊する人を想定して、6時間パックと9時間パックが用意されているのだが、そのどちらを選ぶのかである。このとき、我々は、せっかく京都に来たにもかかわらず、神社仏閣の類を何も観光していなかった。これは決して我々の興味関心が神社仏閣になかったわけではなく、ただ上述の成り行き上そうなってしまっただけであった。我々にもその点について心残りがあり、翌日は朝から全力で観光しようという意志は固かった。そうなると、自ずから選択可能な道は決まっていたのである。すなわち、6時間パックである。
 このとき、時間はまだ22時を回った頃であったのではないかと思われる。ここで、翌朝4時にはネットカフェを出て出発することが決まったのである。4時に起きて始発から青春18きっぷで京都に行き、炎天下の中夜まで歩き回った我々のキャンプ地は、こうして決まったのである。


(続きは、旅行記:京都(2011/08/08-10)②にて)
4.旅行2日目
4-1.早朝、川渡り
4-2.風呂を求めて
4-3.士気崩壊
4-4.疲れが呼ぶ疲れ
5.旅行3日目
5-1.撤退の合意
5-2.帰路
6.おわりに

conditio sine qua non

年末年始には年明けの挨拶も兼ねて日記を書こうと思っていたのですが、
気が付けば冬も終わりかけ、あと数週間もすれば桜も咲こうかという季節になってしまいました。

このブログを作ったのが中2の夏、2006年の8月です。
それから今に至るまで12年と約半年が経過しており、
あと1年半で人生の半分の間継続しているブログとなりました。

--以下、メイプル関連--

実はオフに行って以来ちょこちょこログインし続けており、
連合イベントで手に入れた秘薬もあってレベルも225になりました。
なお、特にソウルマスターという職にこだわりがあったわけでもなく、
単に復帰する際に一番レベルが高かったというだけでここまで上げてきてしまいました。

ということで、アルカナの地に立ち入れるようにはなったのですが、
222から225までを連合秘薬でショートカットしたということもあり、
もともと火力が低いのに加えてARCが全く足りておらず、
しばらくはレヘルンかなぁと思っています。

低い火力もどうにか上げたいと思ってはいるのですが、
装備強化のシステムが全般的に複雑で正直よく分かっておりません。
そのため、どういう順番で揃えて行ったら良いのかいまいち分かっていませんが、
あとは手袋を買い替えればマント・肩・靴・手袋をアブソレス装備で揃えることができるので、
目下のところそれを目標にしています。

皆さんの復帰をお待ちしております!!
あの頃の未来に 僕らは立っているのかなぁ
xフサxさん、天龍飛、o妃那o、蜜柑缶さん、おぺらはうすさんでオフをしました。
一度だけ会ったことのある天龍飛を除けば、実際に会ったのは初めてでした。
当時の話題は尽きることがなく、本当に楽しかったです。

余韻に浸りながらの帰り道。少しだけ酔った頭で、カニング左側の土管、ヘネシス右端の上下2階層になっているところ、ルディブリアムの左下にあるベンチ、リプレ中央のチャンネルを変えたところ、ピグ海岸、ワイルドボアの隠れ道、神殿、エルナス、駐車場、武器庫、ワルメンボウ…といろいろな場所に思いを巡らせていました。
今思えば、どこも大好きな場所でした。

それなのに、四次実装前夜~直後くらいは熱心に狩りをしていたのに、そこでレベリングに冷めてしまい、ほとんどチャットをするためにログインするだけになってしまったのが、今でも悔やまれます。
もう10年も経って、こうやって思い返すくらい大好きだったなら、もっと遊んでおけばよかったなぁ。
さぁ 吸い込んでくれ
2017年も終わろうとしています。

振り返ってみると、今年は色々なことがあった一年でした。
6年に渡る大学生活が終わり、大学で給料をもらって研究ができることになり、ひたすら辛いだけの司法試験を受験し、短答で落ちたと思い落ち込んでいたらギリギリ通過し合格していました。

今から10年前の2007年の12月31日は、中学3年の高校入試が1か月後に控えている時期でした。
当時の自分は10年後にこうなっていることを想像もしていなかったと思いますが、
きっと仮に未来を知っていたとしても、残念には思わないでくれるだろうと思っています。
また10年後、今の自分が残念に思わないような状態であれたら良いなと思います。

ひとまず、2018年が良い年でありますように。

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